1月9日(土)晴れ (石塚)
今日から、それぞれの演出家チームに分かれて稽古がはじまります。
伊藤さんのチームは、出村さんです。
今回のチーム分けは、
伊藤さんチーム、出村さん
筒井さんチーム、それ以外のメンバー(省略もうしわけないです。)となりました。
極端な人数差のあるチーム分けになりましたが、これくらいの方が面白い、でしょうか?
今回はチーム分け後、はじめての稽古ということで、輪になって(私も入り、三人だけでですが)隣の人の足の裏を揉みながら雑談をするというウォームアップからはじまりました。
(やってみると、足の裏を人に触らせるというのは自分にとってはかなり敷居の高いことで、結構抵抗がありました。足の裏は私にとってパーソナルな部分だったようです。以前の稽古など他の俳優さんは普通にしてはったのですごいなあと思いました。)
足の裏を揉みながら、伊藤さんと出村さんは、それぞれの演劇に関わるようになったきっかけなどを話していきました。
伊藤さんは、今回チーム分けが決まってから、どんな作品を作るのかを考えるということで、その手がかりを探るようにいろいろなことを出村さんに聞いていきます。
また、出村さんの答えから、伊藤さん自身の経験や知識、思い出なども語られていきます。
足揉みのあとも、二人は演劇や表現についての対話を進めていきます。
二人の対話を見ていて、経験や思い出のような個人に蓄積されたものは、外側からの問いかけや、それを連想させるような他者の経験などが語られることによって、話す必然性が生まれ、言語化されて外に出て行くのだなあと思いました。
出村さんは、質問に答える時に、ゆっくりと、それが自分の言葉かどうか、
身体にフィットするかどうかを確認しながら、話しているように見えました。
対話の中で、出村さんがソロダンスのワークショップに参加したきっかけの話になりました。
その理由の一つに、ダンスというものがわからない、そんなに簡単に踊れない、
変に「踊っちゃう」みたいになるときに自分に不信感がある、
だから何かこの動きだけはできる みたいなことを見つけたくて行った、というものがありました。
また、出村さんが現在「non-musician」として参加している「中川裕貴バンド」で、
京都劇研でライブをしたとき、俳優としてではなく「non-musician」としてそこにいるにもかかわらず、俳優になろうとしてしまったと言っていました。
「劇場でないところでは音楽をしますよというのがあるから、なにもしない人がいる(「non-musician」)のは成立するけれど、劇場では一層難しい。」
という出村さんの話を受けて、伊藤さんから、現在、兵庫県立美術館にて展覧会をしている「ジョルジョ・モランディ」の名前がでました。
ジョルジョ・モランディ 展覧会
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1512/
ジョルジョ・モランディは、静物画ばかりを描いている画家だそうです。
ジョルジョ・モランディについて岡田温司さんという方が、詳しく書かれているそうで、
彼の作品は、何もしないけれど、そこにあるだけで、どういうものかが伝わって来る、イメージを想起させるのだそうです。
ジョルジョ・モランディ-人と芸術
現在、伊藤さんとしては、たたずんでいる、そこにいるだけ、ということに興味があり、
出村さんとしては、何かをしてしまおうとすることに対しての疑いのようなものがあるということが対話の中で見えてきました。
また伊藤さんが以前行ったままお蔵入りしている、ダンサー・振付家の砂連尾理さんへのインタビューの中で、「(障害者の方や年配の方とのWSなどで)そうせざるおえない動きが美しいと感じる。こうとしか動けない その真摯さ。そういうものを美しいと思う」という言葉をよく覚えているとのことでした。
加えて、
こうせざるおえないということってあるのか
なんだってできてしまうような気になっているのではないか
そういうときに何かの制限を加えるわけだけど一つの制限をどれだけ真摯にこなすかというところにその人のatitudeが見えるのでは、と思うとのことでした。
また、伊藤さんの最近の疑問は、
・なぜ舞台に上がる人になることを選択するのか
・なぜ舞台作品を作ろうとするのか(自分に対しても)
・日本の俳優がどういう目的で俳優になるのか、俳優をしているのか
だそうです。
その話の流れで、振付家ジェロムベルの作ったドキュメンタリー作品の動画を見ました。
この動画はこの舞台を最後に引退するオペラ座のバレリーナ、Veroniqueさんのドキュメンタリー作品です。
こちらのバレエ学校さんのブログで、日本語での訳がでています。
稽古では全ては見れなかったのですが、帰ってから見るととても美しい作品だったので、ぜひ見てみてください。
Part 1
Part2
Part3
Part4
その後、少しだけワークをしました。
このワークは、自分の家を思い出しながら、玄関から入り、窓のある場所まで行って、窓を開け、そこから見えるものを言うというものです。
ルールとしては
・目を閉じて
・家の中にあるものに常に触りながら進んで行く。飛ばして先に進まないこと。(玄関のドアからつながっている靴箱を触り、靴箱とつながっている壁を伝って、壁からつながっている階段、というように)
・家の中のものを説明するというよりは、確認するようにときどき言う。(ここに階段がある、ここに冷蔵庫がある、というように確認しながら自分のために言う。単語でかまわない。)
最初は難しそうでしたが、
玄関を入ると、スムーズに家の中を進んで行きました。
出村さんの今のご自宅は引っ越されて間がないので覚えているかわからないとのことでしたが、やってみると意外と覚えていたとのことです。
また、普段は触ったことのないようなドアの 格子状になっている部分にも触り、それが面白かったそうです。実際には触ったことのない場所に稽古で触るというのは、面白いですね。
またこのワークはその人の家の中を覗き見するようで、ドキドキします。
見ていると、出村さんが住んでいる家が不思議と見えるような気になります。
出村さんは言葉で触れているものの名前を言っているだけなのですが、勝手にその色や温度触り心地みたいなものを想像していました。
それはワークで出村さんそれをが触っている姿を見ているから、想像するのかもしれません。触っていなかったら、想像しないのかどうかはわかりませんが。
稽古の後は演出家と出村さんは話に出たジョルジョ・モランディの展覧会を見に行きました。
私は同行していませんが、大変よかったとのことです。
興味のある方はぜひ行ってみてください。
来週の稽古では、最後に行った家のワークを、小さいころに住んでいた家でやってみるというのをすることになりました。
今日の稽古で、話すことからいろいろなことが見えてきて、それがどのように作品となっていくのか、まだなにもわからない常態ですが、とっかかりのようなものは見えてきたようにも思えました。
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