2月14日(日)
今日はとても風の強い日でした。
体をほぐしてから、お腹の音を聴きあうワークをしました。
これは、出村さんが出演された、ハッピーアワーでも出てきたワークです。
そういえばこのブログを書いている2/19、出村さんが出演されたハッピーアワーを
観てきました。
出村さん、すごくたくさん出演されていて、いつも稽古場で拝見しているからか
スクリーンで観て、やけに嬉しい気持ちになってしまいました。
また、出村さんの映画の中での表情を観ながら、スクリーン越しに新しい出村さんに
出会ったような妙な感動も覚えました。
京都ではオールナイト上映が2/20(土)あるようなので、まだの方はぜひ行ってみてください。
さて、そんな映画の中の最初の方で出てきたWSのシーンで、
お腹の音をお互いに聴きあうというワークがあるのですが、それをしました。
私も参加させていただき、出村さんとお腹の音を聴きあいました。
出村さんのお腹の音は、結構静かでしたが、ときどきコポコポといったり
液体がどこかからどこかへ流れていく音がしました。
出村さんのお腹の音を聞いていると、自分のお腹もよく鳴りました。
出村さんのお腹の音を聞いているのは私の耳(や脳)なのに、
私のお腹も出村さんのお腹の音を聞いているみたいだなと思いました。
これを書きながら、この日、なにか興味のあるもの、持ってきたものとかありますか?という伊藤さんからの問いに出村さんが臓器移植についてのお話をされていたことを思い出しました。
臓器移植をしたら移植した人の性質(食べ物の好みとか)が移植された人に移るというような話だったかと思います。
私の稽古場メモには、記憶する臓器、記憶する心臓、記憶転移と書かれています。
体が、臓器が、何かを記憶するというのは、私はよくわかるような気がします。
座り心地や寝心地を体が覚えているように、臓器も臓器のそこにあり心地?みたいなものを覚えていて、何を食べていたかとか、どんな音を聞いていたかとか、あるような気がします。わかりませんが、あっても不思議じゃないなあと思います。
臓器は、自分のもののようで、自分には意識できない、動かしたくても動かせない、自分では見れない部分でもあって、でもそういう部分が人間の体の内部のほとんどを占めている。
というのは、なんか、意識と無意識の関係性と共通するなあと思いました。
また同じく映画のワークショップから、額を合わせてイメージを伝えるというワークをしました。
私の描いたイメージを出村さんにおでこをつけて、伝えるのですが、全く伝わりませんでした。
伝えたものをシェアしてみて、全然違って笑うときが、とても楽しかったです。
お腹を聞くとか、額を合わせるという、身体の接触の多いワークというのは、
ちょっと恥ずかしくてちょっと嬉しいような気持ちになりました。
臓器移植について語る出村さん。
また伊藤さんから、この作品の出発点をどこにしようかという話がでました。
「人となり」というタイトルは、
自分の人となり ともとれるし
だれかの 人となり ともとれる。
それを探ってみようという話もしました。
まだまだこの作品のセンターのようなものは見えてきてはいません。
でも、外側から少しずつ何かしらのヒントが集まっているような感じはあります。
それから、出村さんとインタビューをするワークをしました。
主に出村さんが聞き手になって、私にインタビューをします。
挨拶からはじまり、インタビューを受け、普通に答えます。
インタビュアーの出村さんはとても控えめに、気づかいながらインタビューをしてくださいます。
そういう聞き方をしてくださるので、こちらにいろいろと思い出す時間が作れて、
結果的にいろいろなことを思い出しながら話をすることができました。
インタビューは2回繰り返され、2回目のインタビューの後、いたこワークをしました。
出村さんがインタビューの中で話題になっていた人をして(つまり、いたこになって)
わたしはいたこの出村さんと話をしました。
インタビューの中で話題になったのは、あるすでに亡くなった方についてだったのですが、その方を出村さんがいたことしてしてくださり、わたしはその人と話をしました。
いたこの出村さんはなにも言いませんでしたが、わたしはすごくいろいろなことを
思い出しました。
いたこワークの後は、伊藤さんからの提案で、
出村さんに過去に作ったダンスをしてもらいました。
歩道橋や、ファミレス、道路、などのダンスです。
どれも静かなダンスですが、出村さんを通して世界が見えてくる豊かなダンスに見えました。人の身体を通した描写のようなものは、どこにでもあるようでいて、
そこにしかないような気がします。
それから、椅子を使ったダンスのようなこともしました。
その後、演技をすることについて書かれたテキストを読みました。
それから、今回の作品で、
例えば、舞台上でだれかにインタビューをするような作品になるとしたらという話の中で、
どこまで「生」の人を舞台上で扱っていいのかというような話になりました。
劇場という開かれた場で、例えば、俳優以外の人に出演してもらい
その人に、プライベートに関わる話をしてもらうことについて、出村さんと伊藤さんとの間で、議論する時間がありました。
出村さんは、生の人を扱うことについて、
その人が例え、そこで大丈夫といい、積極的に話してくれたとしても、
その人がもしかしたら傷ついているかもしれない、または後から傷つくかもしれない、とおっしゃり
対して伊藤さんは、福島のタクシーの運転手さんが、震災以降、観光客の方がたくさんこられて、話を聞かれるようになったことで、最初は嫌だったけれど、後々それがすごくよかったというような話(細部は違うかもしれないですが)をされていました。
その人と二人で話を聞くのと、それを舞台上でするのとは大きく違うということや、
それがいいかどうかは本当にはわからないということなど、
「生?」の人の「生の出来事」を舞台で扱うことについて話をしました。
この話については次回の稽古でどうなるのか気になるところですが、
出村さんが、このことについてとても慎重であることは、
出村さんの人となりをよく現しているように思えました。
出村さんは、疑問に思ったことや、違和感など、思ったことは控えめですが、しっかり伝える俳優さんです。
出村さんを稽古場でみていると、自分に誠実であることが他者にも誠実であるということなのかもしれないと思えたりしました。
伊藤さんと出村さんは、結構違うところも多く、その違いをすり合わせるようなところから、ぽこりとうまれてくるものがあるのかな、あったらいいなと思いました。
生、について、次回の稽古ではどうなっているのでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿