2016年1月30日土曜日

1/30 筒井チーム稽古④

出席者:鄭、楠、浦長瀬、前田、佐々木、藤田 他見学者1名

月日の経つのは早いもので、もう今月最後の稽古となりました。

■チェックイン

まずは筒井チーム恒例のチェックイン。
その時のふわっとした朝の時間が私は結構好きです。
訥々と「さておくこと」を語る参加者のひととなりが感じられて、とてもいい時間だと。


巷ではぼちぼちインフルエンザが流行っているようのですが、今日の稽古場も体調不良で欠席が一名。
出席の楠さんも喉をやられているようで声がガラガラ。それを「さておく」のではなく受け入れて稽古に臨む、と楠さん。
この稽古の場、というよりは日々チェックインしなきゃ、という感じがある、と言う前田さんに個人的になんか同感。

■チェーホフ「かもめ」を使ってⅡ

最初のワークは、筒井チーム初回稽古でも行った、チェーホフ「かもめ」・第一幕序盤のトレープレフとヤーコフ、二人の計2ページほどのやり取りです。

佐々木くん、藤田くんの二人に演じてもらい、他の女性陣がそれを演出する形で行いました。 筒井さんからは、シアタードラマシティで演じることをイメージしてやって欲しい、と壮大な指示が。

とりあえず読み合わせに近い形でやってみた後、女性陣からは台詞を相手役に落とすところ、劇場全体に落とすところ、自己の中に落とすところを考えてやって欲しい、仲がよさそうにしてほしい、商業演劇的なものを想定すると、もうちょっと大きく動いてやるとわかりやすいのでは?などの意見が。
以上をまとめて、客意識を持ちながら動きを大きめに+関係性がはっきりと見えるように+どこに台詞を落とすのか意識して再度やってみましょう、と筒井さん。

  

繰り返す中で、所謂オーソドックスな「演劇」として成立させるには、舞台照明に入りに行く・顔に照明の光を浴びに行ってほしい、何処を・誰を向いているのか明確にするべき、客にお尻を向けないように、などの指摘もありました。

続いて、実はチーム分け後初参加の藤田くんの呼び名について皆でシェアしました。
過去も含む日ごろの呼ばれ方…藤田くん、藤田さん、カズヒロ、カズ、パイセン、ふっちょ、珍プレー好プレー(?)、など。
あと佐々木くんの新あだ名(過去の)判明⇒「じゅんじ」。詳細は彼に直接聞いてください。。。
以上、欠席者の方も頭の片隅に置いといてくださいませ。

■ピクニック

次は筒井チームの稽古では恒例となっている「ピクニック」です。
恒例ということは、 作品自体の芯となる可能性が非常に高い、ともう言っても良いでしょう。
なのでこのワークの内容をどの程度詳しく記述して良いのか悩むところですが、ほどほどに小出しにしていけたら、と。

 

前々回の稽古から、

「俳優がピクニックを自然に舞台上で行う中で、ある出来事や要素に対して、この要素こそピクニックを実現化させるため必要、と思った時、舞台面に出て観客にそれが何かを伝え(○○がピクニックです)、何事もなかったように元に戻る」

というミッションがプラスされているのですが、今回はその俳優へのミッションが結果どういったものであるのが望ましいのか、方向付けが成されました。
私たちがピクニックという状況を成立させるために行っている演技を感じとることが、俳優陣には今後一層必要とされる、そんな気がします。

■演劇的(?)ピクニックをやってみた

いつものように数ターン行った後、常に「自然さ」を意識して行っていたピクニックを、所謂「演劇」的な演技で一度やってみよう、と筒井さん。
アクションリアクションを大きく、芸術創造館のサイズを想定し、ことあるごとに互いの名前を呼んでいきましょう、とのこと。

  

…結果はいつもは結果的に封じられていたベタな「演技」が解放されたせいか、終始爆笑の渦が広がる展開に。
笑いながら観ていた筒井さんからは「演劇って面白い!可能性を感じた」という言葉も。

いつものピクニックとどう異なるか?について参加者からは、使っている部分が違う、起こすことの質が違う、嘘ではあるが本当の幸せもあった、いつものピクニックはすり合わせをしないといけないが今回のは前提が共有しやすい・考えなくていい公式みたいなもの、起こるすべてのことに乗っかってリアクションした・いつものピクニックも起きることに乗っかっていけばいいと思った…などなど。
また、楽しいけど答えがわかっている感があるので、早く終わらないかなと思ったという参加者がいる一方、逆にこれをずっとやっていたいと思った、という参加者もいました。

そして2ターン目は、

「参加者が演劇的ピクニック中に「これぞ演劇!!!」と感じた瞬間、舞台面に出て観客にそれが何かを伝える(○○が演劇です!!!)」

…というミッションが追加。これもまた盛り上がるのなんの。

 

参加者からは、1ターン目より頭を使っている感があり面白いという意見や、これをテキストに起こしてやるともっと演劇的になるのでは、という意見も出ました。

主に参加者に課されるミッションについてどうするか課題があるようですが、 それが浮かび上がったことも含め、このバージョンの実験は筒井さん的には収穫あり、のようです。

■自己紹介と自己

本日のピクニックは終了、次は前回の稽古でも行った自己紹介です。


皆一列横並びになり、紹介するのは名前・出身地・普段何をしているかの3点です。
これも前回と同じく、佐々木くんだけウソをついてもらったのですが、佐々木くんの微妙な出身地のウソなどほぼ誰にもわかりません(わかるとしたら親兄弟くらいでしょうか?)。しかしウソはウソ。でも自己紹介の体を成しているように見えることの何とも言えないビミョーな不思議さ。
筒井さんから皆に、今の自己紹介の際に意識したこと・感じたことについて問いが投げかけられました。
参加者からは、真っすぐに立つ、プレーンな感じ、視線真っすぐ、私として聴衆に向けて語ろう、初対面の人に対してのある種の緊張があった、逆にいつもよりリラックスした、向こうも自己紹介してくれると思ってやったので舞台上で行った意識が無かった、などなど。

それを受けての自己紹介2ターン目は、全員舞台上におり客席には観客もいる、という体でやってください、との指示が。
観客がいる、という想定なので当然音量は上がりますが、それ以外の何かを実現化させようとしていたと感じられた人もいたようです。参加者からは、舞台上ということなので無意識に姿勢が良くなった、観客に受け入れてもらおうという覚悟をもった、という人も。また違う課題が出てきた、と筒井さん。

再び、佐々木くんの出身地のウソの話に戻ります。

そもそも、なぜ皆自分の出身地を知っているのでしょうか?
親に言われたから、住民票で見たから、などという声が上がりますが、それってちょっと怪しいんじゃないか?そもそもその親は本当に自分の本当の親なのか?…と、筒井さんは大学院の時に聞いたという、ヒトは永遠に中心を指すことが出来ず(その中心の点は拡大すると無数の点の集合であり、その無数の点一つ一つも拡大すると無数の点の集合であり…という風に)、中心は存在しない、つまり「中心」は「概念」でしかない…という話を例に挙げ、何事においても突き詰めて考えすぎると怪しく、疑いだすとキリがなく確かめようがないので、ヒトは何らかの「概念」を信じるしかなく、そうした積み重ねで私たちの自己は形作られている、そういう人に成っている、と語りました。
…そう考えると私たちのアイデンティティのなんとおぼろげで不確かなことでしょう。唯幻論とか共同幻想論とかが頭に浮かびましたね、、、(読んでないけど)

そんな感じで筒井チーム、笑いが絶えないかつ抑えるところはきっちり抑える、絶妙な感じで進行中です。
以上、三田村でした。

***************

本日見学に来て頂いた、劇団うんこなまずの作・演出であり貴重なzombieブログ読者の一人・繁澤邦明氏からも詳細な稽古レポートが届きましたのでこちらも是非ご覧ください。

引き続き当企画では稽古見学希望を広く受け入れております。
希望の方は関係者またはcttoskアットマークgmail.comまでお知らせください。


zombieブログをご覧の皆さま、はじめまして。繁澤@うんなまです。
自他ともに認める(?)このzombieブログ一番の読者の私ですが、今回よもやまさか自らが書いた文章がこのzombieブログに掲載されるなんてことが発生するとは、と、静かな興奮を禁じえず、午前5時の衝動に身を任せてこの文章を書いています。

今回、1時間半程度の稽古見学だったのですが、主に以下4点について見させていただいたように記憶しております。
 ・「リアルな」ピクニック
 ・「演劇的な」ピクニック
 ・自己紹介について
 ・中心について
個々の内容については私が書いてもアレなので割愛しますが、せっかくなので見学ふまえ感じたことを書いていこうと思います。もしかしたら完全にトンチンカンなことを書いているかもしれませんが、ご容赦下さい。

 @@@

個人的な最近の興味事というかテーマとして、「舞台上にいる役者はなぜあんなにも台詞を発することを許されているのか」といったことがございます。もっと言うと、日常で私たちが喋る言葉の重みとか、責任に、舞台上で喋る言葉は追いつけているのか、ということです。

もちろん、そのベクトルをそも欲していないだとか、役者の力量だとか、そういったetc観点はあるのですが、なんだか気になっているのです。私たちが日常で発する言葉(もちろん行動もですが)は、自分の人生を大きく左右する(もちろん他人もですが)ものであり、つまりは常に大きな「責任」を有しているし、意識的にせよ無意識にせよ「考えに考えた末の選択」だよなと、最近常々思うのです。考えているのは自分か、他人か、ということもあるでしょう。なんにせよ、既に演技まみれなのではないかと。(ヒトは社会的な生き物だから、という一言で完結する話かもしれません)

舞台上に役者が立つ理由が「そういった日常の鎖」的なものから解き放たれたい、というのもあるかもしれませんが、それにしても、少なくとも劇的なことが起きる人々を演じるにあたり、なんであんなにも朗々と喋ることができるのだろうか、というようなことを、最近とみに感じています(観客の
方々もそういった日常の鎖から解き放たれたい?あるいは、台詞とは何か、という問いでしょうか)。

ということを考えながら見ていたのが、「リアルな」ピクニックと、「演劇的な」ピクニック、でした。ベースとしては、ある程度段取りの決まったエチュード?なように思っています(違っていたらすみません)が、もちろん出し物としてのベクトルもあるのでしょうが、にしても、なんというか振る舞いの持つ責任感、にじみ出るもの含めて、って全然違うよなと、感じたのです。あまり上手いこと書けていませんが。

役者の方々のやっていたこととして、「リアルな」方は関係性を築いていく作業なのに対し、「演劇的な」方は自己を主張していくような、そんな印象を受けました。「リアルな」と「演劇的な」は、やり手にとってそもどっちの方がスリルがあるのか、また楽しいのか、とかとか疑問も持ちつつ、しかしながらも「リアル」と「演劇」について、「俳優」という視点にとかく限定して思いを馳せることができたのが、個人的な感想というか、見学の満喫の仕方でした。

zombieのコンセプト?として、
【舞台に立つ俳優たち一人一人の創造性/想像性に重きを置いた創作】
ということがHPに書かれているのですが、ここまで書いて、ほうほうなるほど、と思ったり、思わなかったり、しています。まだまだ項目というか、作業というか、俳優から引き出されることが沢山あるのだろうなと、非常に興味深い稽古場ですということを書いて、このイヤに長々とした雑記を終えたいと思います。ありがとうございました。

もしかしたら、全く予想だにつかないものが観れる機会なのかもしれません。
あと、役者と俳優の違いって何なのでしょうか?チャンスあれば、また稽古場を覗いてみたいなと思います。

★劇団うんこなまずの直近の予定は↓。皆様お時間あれば是非★

【大大阪舞台博覧会vol.2】
日程:2月6日、7日、13日、14日
場所:芸術創造館
※2月13日(土)に出演します。
※上演時間…1作品20-30分
         開演30分前に受付開始
         3作品上演後、10分間の休憩をはさみます。
※詳細…http://www.artcomplex.net/doh/ 


◎うんなま単体予約(500円)
http://bakuto.cart.fc2.com/ca1/5/p-r-s/
◎1日予約(2100円)
http://bakuto.cart.fc2.com/ca1/6/p-r-s/ 


2016年1月29日金曜日

1/23 筒井チーム稽古③

出席者:鄭、楠、浦長瀬、鎌田、杉本、佐々木、前田

えー、今週はなんやかんやで非常に忙しく、かなり遅れての更新になってしまいお詫び申し上げます…今回もかなり盛りだくさんの稽古レポです。

■チェックインからの…

さて、まずは筒井チーム稽古の恒例となっているチェックインから。

どうやら参加者の中には、稽古の無い時も頭の片隅でチェックインを意識している人がいる模様で、チェックインの時に喋りたい事柄が日々たくさん出てくるとのこと。「さておく」事柄をたくさんしゃべりたい、というのも変な話なのですが、確かにその気持ちはなんかわかりますねー。

前回の際は、浦長瀬さんがスマップの解散騒動を「さておいた」のですが、週頭に生放送され話題になった例の会見動画について、浦長瀬さん・筒井さんを中心にあの会見は一体何だったのか?という検証が始まりました。
そこで筒井さんより、最近見た何かの記事に、あの会見は「クレムリノロジー」だ、という指摘があったとのこと。
「クレムリノロジー」、ロシアの政治・政策の研究分析の一種らしいのですが、私初めて聞きました。そしてちょっと調べてみるとこんなまとめも。…非常に興味深い。チーム内の立ち位置を変えることがチーム編成を変えますよということを意味しており、メンバーもそれを引き受ける宣言をさせられている、核心を語ることなく如何にかいくぐるか・表現によって逆に何が隠されているのかなどなど…様々なことが見えてくるではありませんか!

■前説とは何か

スマップ会見の話題はそこそこに、ワークに突入です。
まずは、舞台作品の開演前に行われるあの「前説」について筒井さんの考察です。



前説での注意事項でよくあるのが、携帯電話を音・振動の出ない状態にする、飲食喫煙厳禁、撮影厳禁、あたりでしょう。
例えば携帯電話にまつわる注意に関していえば、①演出効果の妨げになるから(作品の実現化の邪魔をするな)、②他の観客の迷惑になるから(他の客の観劇の邪魔をするな)、という、作品と観客、二つの領域に跨る理由が考えられるが、それはどういうことなのだろう? なぜ「前説」は必要なのか?それはつまり「劇場」を成立・実現化させるために必要なのではないだろうか?
…と、筒井さんから一つの仮説が示されました。

■(ちょけた)前説を皆でやってみよう

これを念頭に置いたうえで、筒井さんからは「「ちょけた前説」を皆でしてみよう!」という提案が!?どういうちょけかたでもいい、とのこと。
そして約5分のシンキングタイム後、以下のありえない前説の光景が私の眼前に次々と展開されたのでした…

・前田

極度の緊張状態にあるらしい人の前説。私には泣き女に見えました。激エモーショナルに見えたってことです。
上演本編に関わりないものであるとしたら最低笑、との評価。
・鄭

うん、適当というかラフというか。言いたいように言っているねとのこと。
笑えそうで笑えないところが怒りを感じるという絶妙な評もあり。 
…実はこの微妙な塩梅が後のワークにつながってきます。







・佐々木

片手できつね・口を作ってパクパク。筒井さんいわく「実現できていない腹話術」に失笑多数。
本人も片手も両方喋ってます。しかも無駄に尺が長いことに怒りを感じるとの評もあり。








 
・鎌田

まさかのビートたけしのモノマネ。ダンカンこのやろう。似ているわけがない。破壊力抜群でした。
たけしも観客も含め全方向を馬鹿にしている姿勢が感じられる、との評あり。







 
・楠

低姿勢でまあ好印象ですが無駄に丁寧すぎ+必死で、なぜか笑えてきます。
へりくだりすぎて客を馬鹿にしている、との評あり。確かに。









・杉本

丁寧だけどどこかラフでもあり、話まとまって無い感が妙に面白い。
視線がどこ観ているのかわからないとの評も。










・浦長瀬

ホワイトボードに文字で表現しボードをバンバン。意外となかった形。ボードをたたく音が気持ちいいですね。
外国人には逆に伝わりやすいかもしれない…?










一通り見終わった筒井さんからは、様々な問題が提示されていると思った…というシリアスなコメント。
次は一旦違うワークをやり、また元に戻すので、今自分のやった前説を記憶しておいてください、と指示がありました。

■自己紹介

というわけで一旦違うワークに。
佐々木、楠、杉本の3人で、名前・出身地・身長の3項目のみで自己紹介します。
しかし佐々木くんは出身地に関して嘘をつき、楠さんは身長を1センチ嘘をついています。
これ、そうと言われなければわからない、非常に微妙なウソです。


筒井さんの中では、ポストドラマ演劇においていかにも私です、という体で出てくるパフォーマーの「本当」とは何か、なぜそう信じるのか、何を本当とするのか、に関して思うところがあるようで、その点は本作でも後々追及していくかも、とのことでした。

■再び(ちょけた)前説へ

予告通り再び前説に戻ります。

筒井さんからは、まず「ちょける」=自己の実現化=エゴの発現である。
そして全員の前説を見た中では、鄭さん・杉本さん・楠さんは本当にあり得るかもしれない―つまり、俳優としてちょけた前説をして下さい、という指示の下で出てくるからちょけていると見えるが、本当に前説で上記の3名のような状態の人が出てきたとすると、その人がちょけているのか本気なのか微妙だと感じる―つまり、本当にそういう前説をする人がいるかもしれないと感じられる、とのことでした。
中でも、鄭さんが一番「微妙」で、それが面白かった、と。

■鄭さんの(ちょけた)前説を元に

筒井さんは鄭さんの「微妙」な塩梅のちょけた前説に何かを見出したようです。

というわけで次のワークは、鄭さんに先ほどの前説を出来るだけ再現してもらいながら、周りに座ってそれを聞く他の参加者が、鄭さんの「エゴ」が前説を超えて出たと感じた瞬間にパッと手を上げる、というものです。


挙手に慎重な参加者からは難しいが段々わかってきたという声もあり、当の鄭さんからは あまりエゴみたいなものはなくちょけるということが苦手なのです、とのこと。

■恒例のピクニック

続いてこれも筒井チーム恒例のワーク・ピクニックです。
前回から付け足されたのは、ワーク中のある出来事や要素に対して、この要素こそピクニックを実現化させるため必要、と思った時、前に出て観客にそれが何かを伝えて(慌てて話す必要は無し)、何事もなかったように元に戻る、というものです。
飽きてきても同じ事をして下さい!という筒井さんからの檄も(?)飛びます。


今日は上演に向けて、このワークの中に戦略的に出来事を起こしてみたい、という筒井さん。
ネタバレの可能性無きにしも非ずのため詳しくはアップしませんが…決して嘘はつかず明言もせず、暗に意味させながらある危機的状況をどうかいくぐるのか、という、稽古の冒頭でも話されていた、スマップ生会見の裏で進行していたであろうことが図らずも(?)このピクニックのワークの中で試されようとしていた、とだけ書いておきます。

筒井チームの稽古は一見関係ないような雑談まで、色々な点が線で繋がってきます。それが非常に思いがけず面白いのです。

鄭さんの(ちょけた)前説を元に:その2

再び鄭さんの前説を元にしたワークに戻ります。

先ほどのものは鄭さんの前説を聞く参加者が、鄭さんの「エゴ」が前説を超えて出た、と感じた瞬間にパッと手を上げる、というものでしたが、加えてどういうところにエゴを感じたのかコメントも付けてみよう、と指示が。コメントを喋っている間、鄭さんはストップモーションになります。


参加者からは、「ゆうても」を連発する、登退場の仕方、渋そうな顔、しがない小劇場という言い回し、などなどどんどん出てきます。
鄭さんは中々大変そう。ディスられてる気分になる、口癖もエゴだけど、という前置きの上で当たっていることもあるし単なる口癖もある、とのことでした。

筒井さんの言う通り、上演と結びついた様々な前説はありますが、「劇場」のみを実現化するのであれば、出来るだけエゴを消した前説の方が、作品の上演に向けて無駄な色の無い劇場を作るためには重要なのだと、様々なエゴ=ちょける前説を観て実感した次第です。

というわけで筒井チームの稽古、今回も非常に興味深かったです。
なんといっても今後、前説を観る目が変わるかもしれない…そして自分がやる時も気を付けよう…

以上、三田村でした。

1/23 伊藤チーム稽古③

1月23日(土)晴れ とても寒い日。

今日はゲストが来る予定でしたが、来られず、出村さんと伊藤さんとのマンツーマンの稽古でした。

いつものように雑談からはじまり、作品についての話しになりました。

過去に伊藤さんが仙台で作った「もっと見ろこともなげに」の作品で
参加者にした宿題を出村さんにも渡していて、
そこには個人的な質問がいろいろと書いてあるのですが、
それについて、どう思いますかとの伊藤さんの質問に出村さんは、
この宿題を基にして作るとしたら、私は、これを私がするとしたら全然面白くないし、見たいとも思わないと、答えられていました。

それに対して、伊藤さんが、じゃあだれかに化けたい願望がある?と質問。

出村さんは、

自分以外をやりたいというわけではない
別の人生をやりたいというのはない。
でも普段の生活をしているときの自分と、本当の自分がいっしょかもわからない。

私がどこでうまれてだれがすきで
みたいなことって 最初に演劇をはじめたときはそういうところじゃないところでみてもらえる、どこ出身でだれ、というか、そういうことを聞かれないところで
見てもらっているっていう感じがいいなあって

というようなことを、おっしゃっていて、他にもいろいろ言ってはったんですが、
それが印象的でした。

どうして舞台に立つかという動機は、役者さんによってそれぞれ違うのでしょうが、
なぜ俳優をしている、というような問いは、なんだか広い広い問いのように思えました。

自分がやっていることの動機なんて、自分がそれを本当の本当に知っているかといえば、
私はそんなに知らないような気がします。

口から出るような動機や理由は、あくまで自分で知っていることで、
自分も知らない動機や理由を人は持っていて、本当はそういうところから動いているように思うことがあります。
それは 思っていることと違うことを言っている、している、というのではなくて、
自分が意識していることと、意識していないこと、という意味です。




その後、伊藤さんが持ってきた詩を出村さんが朗読しました。
山村暮鳥の幸福という詩です。




山村暮鳥 さんの静かな雰囲気の詩を出村さんが、ひたひたという感じで読んでいきます。この詩と出村さんの雰囲気がとてもあっていました。

その次は、私も参加しての稽古になりました。
参加してしまったので、写真はとれていないのですが、

出村さんと向き合って、インタビューをするとか、哲学的な問いかけをしてもらい
それに普通に答える、次に短く答える、目だけで答えるということをしました。

なんとなくこのインタビューをしながら、映画「うたうひと」のことを思い出しました。

うたうひと 

と言っても、私はこの映画は見ていなくて、映画の基になった、民話を語る人をたくさん
撮影してアーカイブしている「みやぎ民話の会」さんのことを聞いたことがあり、
またその映像を見る機会があり、そういえばこの映画見たかったなあと思い出したのでした。

うたうひとのサイトのプロダクションノートに書かれている文章は、みやぎ民話の会の顧問の小野さんが書いたものですが、なんだかなるほどなあというような気がします。

「語り、聞く」ということが成立するには、語り手に普段とは違うもうひとつの人格を求めるような所があるように思うのですが、聞く方も同じだと思うんですね。つまり、語る方が一の力をお出しになったら、聞く方が三ぐらい出して、もうひとつの自分をそこでつくりだしていかなくちゃならないように思います。それが具体的にどういう方法かというと、うまくは言えないんですが。
私は折口信夫の本から時々に学ぶのですが、古代の人たちは、訪ねて行って、門まで行ってすぐその場で帰る人間をものすごく卑しい者とした。やっぱり中に入って、そこで融合して解け合って、もらったり与えたりしたときに、人間の喜びと創造があるという意味の事を書いておられるんです。たしかに私たちも語り手を訪ねていったとき、明らかに他人であり、他所者なんです。だから、門の前から引き返す、これは精神的な意味合いなのですが、門の中に身体は入れていただいても、引き返す姿勢でしか聞けない者もいる。聞くふりをすることしかできない者もいる。
だから、門の中に入るということは、そこで門をくぐったときに、自分を変えなくてはならないんですよ。どういうふうに変えるかって言われても、そこはもう、聞き手の感性によるよりしょうがないのですけどね。
「語る」と「聞く」ということの間に成立する空間というものは、実はものすごく神秘的なものがあるような気がします。それを許された語り手と聞き手の間にだけ成立した空間で、そのふたりにだけが共に門の内にあって味わうことのできるもの。そういう瞬間を感じることは、時々あります。そういうとき、自分がそこでカタルシス(浄化)されているような気がします。



私は出村さんから問いかけられる側だったのですが、なんだか改まってひとに
聞かれるというのは、難しいというか、また、出村さんだけじゃなくて、演出の伊藤さんの存在というのも意識しているなあと感じました。
どう答えていいかというところとか、どう答えないといけないかとか、伊藤さんのねらいはなんだろうとか、そういうことを結構意識していたなあと思います。

このみやぎ民話の会さんが、東北地方の民話を集める作業をされいたとき、インタビューの10分前かなんかそこらへんからカメラを回しだして、終わったあともしばらく回しているのだと聞きました。
で、結局編集ではその前後がよかったりして使ったというような話も聞きました。
カメラの役割って大きいんだなあと思いました。でも、芝居でいうとこれは演出とかお客さんになるのかなと思ったりしました。
どうなんでしょうか、、、

話が飛んでしまったのですが、問いに目で答えるというのもやったのですが、
こちらは瞬きをしたり、体も動くし、なんだか目だけしか使ったらあかんとか考えてしまってとても難しかったです。

人間の思考って、本当にややこしくて、決められたタスクがあっても、
それ以外に本当にたくさんの考えがばーっと動いて、それだけを純粋にするというのは
結構難しいものですね。

最後は出村さんが私に哲学的な質問、(例えばあなたにとって死とはなんですかなど)を考えてくださり、問いかけ、そしてその質問に自分で答えるというものをしました。

出村さんが自分で作った問いですが、ご自身で答えるときはうーんと考えられていました。
その考えられている様子が、すごく自分の中にもぐっている感じがしていいと伊藤さんが言っていました。
人が自分の内側に触れながら、確認しながら話す様子というのはいいなあと思います。


そして、伊藤さんいわく、役者さんというのは、そうしているように、そのように見せる技術が必要なのだそうです。

出村さんが自分の質問に自分で答えたあと、山村暮鳥の詩を読みました。

「幸福」
山村 暮鳥

よもすがらきみとねむりて
きみときくやみのしたたり
よもすがらきみとねむりて
しづかなるこのともしび
きみときくやみのしたたり
おとなくおつるそのしたたり

なにゆゑのあしたのいのち


とてもいい詩だなあと思いました。
そんなことは書いていないのに隣で眠っている妻(恋人ではなく)の寝息の湿度や音まで感じられそうな詩です。

今日やった稽古では
問いかける、答えるということを主にやりましたが、問いかけると答えるというようなことは、簡単なようでいてすごく難しいことなのだと思いました。
どのラインまで踏み込んで問いかけるのか、というか、どこまでの気持ちで問いかけるのかとか、どこまで開いて答えるのか、どこまであえてずらして答えるのかとか。
人がどの段階まで相手に関わろうとするかによって、その問いかける、答えるの姿って変わってくるのだろうなあと思いました。

まとまりのない稽古場日誌ですが、23日の稽古はそんな感じでした。


それから出村さんが出演された映画が公開されています。

ハッピーアワーという映画です。
あ、これって、先ほど書いた「うたうひと」の監督と同じということに今気づきました。
ぜひ、足をお運びください!!
:::::::::::::::::::::
出村さん出演作品
濱口竜介監督「ハッピーアワー」
1/23〜 第七藝術劇場(大阪・十三)で公開。
2/6〜   京都の立誠シネマ、2/20には京都みなみ会館のオールナイト上映
5時間45分の大作です。


2016年1月19日火曜日

1/16 伊藤チーム稽古②

1月16日晴れ
参加者 出村さん 照明の山口星さん


今日は、稽古場に照明の山口 星さんが来てくださいました。

まずは体を動かして、温めます。
筒井さんチームのブログを読んで、寂しくなったという出村さん。
確かに、賑やかな筒井さんチームの稽古場風景を見ると、それもわかります。


今日は2つのワークをしました。
一つは言葉を当てたい人に当てるというワークです。

一人が二人の人の後ろに立ち、どちらか一人に後ろから「こんにちわ」と声をかけます。
今度は、声をかけられた二人は、自分が声をかけられた、と感じたら手をあげます。






これが意外と難しく、声をかけられる側は、声が自分にあたっていても、間を通り抜けているように感じて気づかなかったり、当てようとしてもなかなか気づいてくれなかったりもしました。

また声をかける側とかけられる側は少しずつ離れていくのですが、人によって
近い方が当てやすい場合と遠い方が当てやすい場合もあるように思いました。

また同じ「こんにちわ」でも伝わりやすい「こんにちわ」と伝わりにくい「こんにちわ」
があるなあとも思いました。
その違いは相手との距離や言い方、投げ方、声の高さや質みたいなものも関係しているように思いました。

私も参加しましたが、私は自分に声をかけてくれているのに無視していたら悪いという邪念が出てきてニュートラルになれず、とても難しかったです。

参加された山口星さんは、比較的ニュートラルに手をあげていました。


この動画の伊藤さんは出村さんに「こんにちわ」をしっかり当てています。
出村さんもちゃんと受け取っています。




声が当たると、当てた方は嬉しそうです。



二つ目のワークは、以前プレ稽古でも行った「いたこワーク」をしました。
出村さんがプレ稽古には来れなかったということもあり、今回「いたこワーク」をすることになりました。

伊藤さんと出村さんがペア、そして私と山口さんがペアとなり、いたこワークをしました。

いたことは、死者を降ろしてくる特殊能力をもつ人のことです。

イタコ 
日本東北地方などで口寄せ[1]を行う巫女の一種。 シャーマニズムに基づく信仰習俗上の職である。 
Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%B3

とはいっても、おどろおどろしいことをするわけではなく、一人はイタコ、もう一人はイタコにお願いしにくる人をやる「いたこゴッコ」をします。

いたこワーク

・準備 
①ペアで顔を見つめ合う(7分) だれかに見えてくるように見つめる。
そのだれかは、身近な人でない方がいい。もう会えない人や、時間を飛び越えただれかの過去や未来などでもいい。
②見えてきた人についての情報を聞く。

・ワーク
①見つめ合う
②ペアの一人が相手に見出した人物をやってもらうようにお願いする。
③見つめ合う
④見出された側の人物はその人として存在する。
無理してその人物をやろうとしたりせず、ただそこにいること。

いたこワークは伊藤さんが仙台で昨年行った「もっと見ろこともなげに」という作品でも取り入れられていましたが、そのときのワーク、そして昨年のプレ稽古から比べて、
いたこ側はどんどんなにもしないというルールが強くなってきています。

今回のワークでは特に、ただそこにいる、その人としていること、というルールが強調されていたので、いたこ側をした方はほとんどなにも話さず、少し動いただけでした。
ですが、あまり動かない方が、見ている方としては注意して観察しようとする気がしました。
また、今回はイタコにお願いする側も、積極的にすごく話すということはなかったので
余計に、見ている方は何を言うのか、どうなのかとよく見ていました。

写真は伊藤さんと出村さんペアで、伊藤さんは、出村さんに演劇部の先輩をやってもらい、出村さんは、伊藤さんに同級生(女性)をやってもらいました。

伊藤さんは、最初もじもじしていて、ちょっと話し、それからにやにやしていました。
出村さんは先輩としてそこにいました。



その後、出村さんは、同級生の友人を伊藤さんにやってもらいました。
同級生に対する出村さんは、ZOMBIEの稽古場で見たことのない雰囲気でした。
イタコ役の伊藤さん、同級生はちょっと嬉しそうに見えました。

イタコのワークは、どこまでが演技でどこまでが本人なのかがすごく見えにくくて
やってみると、自分もそれがわかりませんでした。

私は山口星さんの、おばあちゃんをしましたが、山口さんからのストレートな言葉に
ぐっときてしまいましたが、おばあちゃんとして(役として)なのか、自分としてその
ストレートさにぐっときているのか、その両方なのかはわかりませんでした。
イタコをするのは、だれかになるというよりも、身代わりになる、というような感じがしました。

また山口さんには私の叔母さんをやってもらいました。
やってもらって感じたのは、イタコ役の方には、ただそこにいてもらうだけでいいということでした。
その方が何か動いたり話されるよりもずっと、見たいものを見られると感じました。
(こう書いてみて、自分が見たいように見たいと思っていたことに気付きました。)

そう思うと、このイタコワークというのは、
イタコをお願いする側が力をもっているのだと思いました。
そしてイタコ側は、相手が自分にだれかを写していることを感じつつ、そこにいて、
お願いする側の反応に影響されたり、それに反応したりする。
イタコは、お願いする側にだれかを見出してもらうことで、イタコとしていられる。
だからイタコさんなりの表現というのはそこには必要ない。
でも、イタコがだれかとして見出されることで、イタコがそのだれかとしている状態が
、制限された中での表現(?)となる。

ここで少し疑問に思ったのは、もしイタコ側が、だれをやるかの具体的な情報を伏せられていたら、このワークは成立しないのかな?ということでした。
イタコを見る側は、会いたい人ということもあって、わりと見たいように見れると思うので、そのように見られればイタコ側はそのようにそこにいられるようにも思いました。

何回か見たことはありましたが、やったのは初めてのワークでした。
不思議なワークでした。



稽古後、近くのフードコートで、今回の作品とタイトルについて、
伊藤さんと出村さんで話あいました。


伊藤さんとしては、この作品のことを一人で決めたくない、出村さんの意見も聞きたいとのことで、話をしました。
話の中で、出村さんからは、「もっとポップに」という意見がでていました。
出村さんからそれを聞けたことが伊藤さんはよかったようで、嬉しそうでした。

さて、タイトル、作品、どうなるのか、、、、ぼちぼち決まってきそうです。
お楽しみに。

2016年1月16日土曜日

1/16 筒井チーム稽古②

出席者:荒川、鄭、楠、浦長瀬、鎌田、杉本

筒井チーム稽古2回目です。

本日は別の本番がある役者さんが数名欠席されています。
なおこのブログですが、欠席者へどんな稽古を行われたかの報告の意味もあります。
というわけで欠席されている方、ヒントになることがぼちぼち書かれている…かもしれないので、乗り遅れないように是非チェックしておいて下さいませ!

■チェックイン

今日は筒井さんが担当した第三回目の全体稽古でも行った、「チェックイン」から始まりました。
この場の皆、勿論四六時中この稽古のことばかり考えているわけではありませんよね。
そんな中ワークに臨むにあたって、それ以外の何を「さておくか」をあえてこの場で皆に言う、というものです。

何を「さておくか」を聞くというのは、その人となりが垣間見えて面白いものです。


・筒井
そんなにコアなファンというわけでもなかったのだがデヴィッド・ボウイが亡くなったことを引きずっている

・浦長瀬
SMAPファンなので解散騒動がショック

・楠
2月に出演する公演の台本が出来上がったが出来るまでが色々大変だった

・鎌田
図書館にベティ・ブルーのDVDを予約、ピザでも食べながら見ようと思っていたら出てきたのはVHSだったのでキャンセル

・荒川
自転車で出勤途中に車に衝突 治療が結構おざなりだった

あと、前回稽古欠席だった荒川くんの呼び名についても確認。
荒川君 荒川さん 涼也 アラ など
…大体荒川君荒川さんに行きつく、無理やり考えたら下ネタに行きつく(!?)とのことでした。

■エチュード

チェックインを終えワークへ移ります。
まずは病室を舞台に、入院患者を友人が見舞いに来た、というシチュエーションのエチュードです。
鄭さんだけ共通で2グループに分け、役も割り振りました。


①鄭⇒患者 荒川⇒その友人 楠⇒看護師(外科・途中で包帯を巻く)
②鄭⇒患者 鎌田⇒その友人 浦長瀬⇒看護師(内科・脈を取る 目や声の状態などをチェックし長居せずに去る)

なお、途中で病室に入ってくる看護師の二人へのカッコ内の設定・指示は、患者・友人役には知らせずに、二人だけにこっそりと伝えられました。
また友人役は、患者に入院の理由は聞かないで欲しい、病気のことはひとしきり聞いた後という状況で、その人とどう過ごすかということを意識してやって欲しい、そして患者役の鄭さんは周りに委ねてやって欲しい、と指示がありました。

鄭さんは2人の友人に対して、気を使ってくれているのをすごく感じる、話の切りだし方が難しいだろうと思ったとのこと。二人の看護師に対しては、登場で場がフォーマルな印象になった、楠さんが時間をかけて包帯を巻いたり二人の会話にも切り込んでくるのに対して浦長瀬さんはさっとやることをやって行った印象。

荒川さんは金魚の白点病の話を。その理由は、なんでも良かったが笑いが欲しい、自分の話しやすい近況を話したとのこと。興味持ってもらえない可能性がある、博打やなあwと筒井さん。

鎌田さんはあだち充のマンガ・H2全36巻を差し入れに。
その理由は入院してる人は暇なので何か持っていきたい、私がいなくなったあとの時間は長いなあと思い時間を埋めてもらえるように持っていったとのこと。なお実際に読んでるそうです。荷物になるというイメージは無かったのかと筒井さん。どうしてもらってもいい、無責任に訪問しました、とのこと。

■病室のエチュードを振り返る

このエチュードの解説です。

まずこのエチュードの構造として、最初患者・友人の2人は2人のプライベートな空間を実現化するための演技をしていたわけであるが、看護師の登場により、フォーマル・・・言い換えればパブリックな空間に成り、友人はそれ以降ほぼ黙る状態になる。そこにはそのパブリックな空間を壊さないでおこうという友人の判断がある、とのこと。

あと外科看護師役の楠さんは、包帯を巻くという動作がある故パブリックな時間が長く、目に見えて仕事をしている感があるのだが、さっと帰った印象を持たれた内科看護師役の浦長瀬さんの方が、実は高度なことをやっていたりする。
そういった理由から、実際に内科の看護師は、外科の看護師に対してズルい(わかりやすく医療行為をしていると思われやすいから)、と思うことがあるらしい。

■今回の上演が目指すもの

続いて筒井さんより、俳優が何らかの役としてでは無く、その人自身としてそこに居ることを核として舞台作品を提示する所謂ポストドラマ演劇と呼ばれるものこそ、このゾンビ企画が目指すものであり、先ほどの外科と内科の例を出すなら、内科的―実は高度ではあるものの観ている側にはわかりにくい伝わりにくい可能性もあるが、俳優が役を演じ長台詞を熱弁するような、外科的なわかりやすさのあるものではない上演を行おうと思っている、とのことでした。

■ピクニック

というわけで次は第一回目の稽古でも行ったピクニックのワークです。
前回と異なり客席と舞台をきっちりわけて行いました。
そして以下の3つを特に意識して行ってほしいと指示が。
・ピクニックであること
・自然であること
・お互いの名前を呼ぶこと


その後の振り返りでは、
・ピクニック要素は何だった?→天気の話 お菓子で乾杯 輪になって座る 行楽・観光の時は今までに行ったことのある観光地行楽地が話題になることが多い

・ 自然さを実現させる要素とは?→声が小さい その輪にいる人とだけコミュニケーション出来ればいい 自然な形でピクニックをしよう、とする意識、ただし実際にピクニックにいった時もピクニックを成功させようとする意識はある、つまり日常でも何かを実現化させるには何かを実現化させる、という意思が常に働いているものだ

そして、第2ターンからは新たな要素が加えられました。
参加者が今正に「ピクニック」!!!と感じた瞬間、輪から外れ舞台面辺りまで出て、そのことを客ふりで喋り、何事もなかったように戻る(他の人は前に出ている人のことはスルー)、というもの。



…これ、見ている側としては中々笑えます。
例えば普通のカルピスでもおいしく感じる!とか、輪になって乾杯!とか、何でも思い出と言ってまとめる感じ!などなど…
筒井さんからは、もっとベタな、小さなところから始めてもいいのではという指摘もあり、今後返すごとにピクニック要素を的確に抽出出来るようになればいいな、とも。

■薬剤師トーク(?)

実は筒井チームには、現役薬剤師の鄭さんに加え、薬学に勤しんでいる学生が浦長瀬さんと杉本さんの2人、合計3人も薬学関係の女性がいます。前回稽古帰りの電車内でその事実が発覚。 
これ、かなりレアケースではないでしょうか…!

さてこのワーク、杉本さんが自劇団の稽古のため早退された為、鄭さん+浦長瀬さんのペアにプラス1人の3人でフリートークをしてもらうというものになりました。
内容はランチを食べに行った話から始まるが、途中から鄭さん+浦長瀬さんの二人はあとの一人を置いてけぼりにするくらい薬剤師トークを始めてほしい、とのリクエスト。

鄭さん+浦長瀬さん+楠さん
まずは鄭さん+浦長瀬さんに楠さんが入ってトークが始まりました。
ランチの話からいつの間にか二人の薬剤師にまつわるあれこれの話が出てきます。
予想通り、話している内容が全くわからないにも関わらず(笑)、二人の異常な盛り上がりを見ているのはかなり面白い!


 そして途中から放置状態となった楠さんからは・・・こうなるだろうなあと思ったらやっぱりこうなった ランチの話は自分が盛り上げようと思った 適度に薬学の話に参加し気を使わせないように心掛けた ただ実際にこういうシチュエーションがあったらもう少し話を振ってくれる・話に入れるのではないだろうか?などの感想が出ました。

・鄭さん+浦長瀬さん+荒川くん
次は楠さんに代わり荒川くんが入ります。
事前に筒井さんより、薬剤師の話が始まったら、序盤は若干追いかけるが興味を無くして、伸びをしたりスマホとかいじって欲しい、という指示が入りました。


しかし、まだまだこのお二人の話は盛り上がって面白い。
ただ筒井さんの指示の影響で、振り返りでは二人から荒川くんに申し訳ない気持ちになった、冷たい空気を感じたなど感想が出ました。

鄭さん+浦長瀬さん+鎌田さん
最後は鎌田さんが入ります。
筒井さんからは、二人が薬学の話で盛り上がり始めたら、タイミングを見計らい火山の話をしてほしい、との指示が。なぜ火山…?そう、鎌田さんは理学部地球学科卒。

※恐らく必死で地球学科時代を思い出してらっしゃいます、たぶん。
さて、3ターン目にも関わらず二人のトークの勢いは止まりません。薬学すごい。
時折岩石の話をぶっこむ鎌田さん。筒井さんからはもう少し頑張ってほしかったなあ、とのことでしたが健闘と言えるのではないでしょうか・・・


二人からは、話に入るぞという意思を感じびっくりした、話題見つけた感がすごかった、何であれ自分の好きなことを話している人は面白いんだなと思った、など。
鎌田さんからは、話に入るスキがなさ過ぎた、かなりの勢いで突入しないと別の話題を入れ込むことは難しいとわかった、とのこと。

まとめとして、この3パターンの構造について解説がありました。


完全に二人で薬学の世界を創り上げている鄭さん+浦長瀬さんに対して、

・楠さんの対応 友達+うまく話題に沿いつつ二人の世界の邪魔はしないというもの
・荒川くんの対応 話題についていけないため放棄・離脱するというもので友達感は当然減るが、二人の世界は壊れないというもの
・鎌田さんの対応 友達+二人の世界を壊しにかかる 自分の世界にしようとする

最後に筒井さんより、このワーク及びこれからの作品創りにおいて、その時間は何の世界なのか・何が離れ何が入っていくのか・何を常にその場で実現化させるのか、を意識して考えて創っていきましょう、との言葉がありました。

筒井チーム、しっかりとした作品コンセプトは既にありつつ、プラスアルファを色々楽しみながら試行錯誤しております。

以上三田村でした。

2016年1月13日水曜日

1/9 筒井チーム稽古①

出席者:佐々木、鄭、前田、楠、浦長瀬、鎌田、杉本

あけましておめでとうございます。
というわけで、筒井・伊藤、2チームに分かれての稽古が始まりました。
筒井チームの担当は基本私、三田村となりますので宜しくお願いします。

さて伊藤チームのブログを見た方はお分かりかと思いますが、出村さんを除く9名が筒井チームです(!)。
大胆な攻めの分け方となりました。これ、面白くなりそうですよ。

■呼ばれ方をどうする?

欠席者もいましたがチーム分け初回ということで、筒井さんからそれぞれが普段どのように呼ばれているか、呼ばれてきたかについて皆に質問が。
当然ですが、皆さん本当に色々ありますねー。
筒井さんからは聞いてて面白かった、とのことで、このチーム内ではどう呼ばれるのがいいか?どう呼ばれるのがしっくりくるか?と続けて問いが。


・前田 前田さん まなみちゃん
・楠 みおさん みおちゃん ちゃんみお
・鎌田 なっちゃん 鎌田さん なつみさん
・浦長瀬 うらちゃん うらりん
・杉本 杉本さん ※他は接戦しているらしい
・佐々木 さっさん

…などなど。
以上を受けて、これからの稽古の中で、皆自分がその相手をどのような呼び方で呼ぶのか、イメージして、意識して、他者及び自分へのチャレンジも含めて意識的に呼んでいきましょう、との言葉が。
週一の稽古なのでトータルで見ると期間が短いので、大所帯のチーム内が仲良くなるためにもいいかもしれませんね。

■チェーホフ「かもめ」を使って

続いて筒井さんが取り出したのは、言わずと知れたチェーホフの傑作四大戯曲の一つ、「かもめ」の抜粋、第一幕序盤のトレープレフとヤーコフ、二人の計2ページほどのやり取りです。
遅刻の鄭さんを覗いた8人をペアで3グループに分け、誰がどの役をするかも決めた上で、簡単に上演してもらいました。

全グループの上演後、筒井さんよりこれは否定では無く観察の結果、との前置きの上、各チームにコメント、参加者が何を意識し何に気を配って上演を行ったのか?の問いと、結果何が実現化されていたように見えたのか、のコメントがありました。

①浦長瀬 鎌田
二人とも正面向いた椅子に座っての上演 
主に浦長瀬さんについて テキストの面白いと思ったところを面白がってやる→面白がってやっているという私を見てもらうという感触は個人の表現で、「かもめ」という作品の実現化では無い、という印象 劇場という空間を考えた場合、オーソドックスな、受け入れられやすいアプローチが出来ていたのではないか







②佐々木 杉本
二人とも日の当たる場所で寝転がって後ろ向き 棒読み調 音量は小さい
内容では無く読み方、音声での即興的な二人のセッション 観客への意識は二の次で、それを観客が能動的に共有できるかが問われる ただ、「かもめ」の作品世界を立ち上げようとしている意識は低い







 
③楠 前田
一番ムーブメントのある上演(下手前あたりから中央辺りまで二人歩いてくる)
他の二組に比べると一番リーディングより上演に近いものだった 手のアクションなど動きもあった ただ声は小さい 空間に何かがある、場所の意識の前提で動きが決められていっている感触 一番「かもめ」という作品の実現化にアプローチしているパフォーマンスだったが音量が小さく、それを観客に届けるというアプローチは欠けていたのではないか






■ピクニック?

そして最後に、このメンバー全員が仲の良いグループであるということを前提に、「ピクニック」を自然にこの場でやって欲しい、自然にピクニック状態を実現化してほしい、とのリクエストが。
文字通り、天気の良い日に屋外でビニールシートの上に皆で色々持ち寄ってわいわいと楽しむ、あのピクニック、です。

というわけで、とりあえずやってみました。


※鄭さん撮影

その後筒井さんより、ピクニックであるということにする、実現化するために各々が工夫した・あれはそうだったんじゃないか?と思うことを言ってください、と問いが。

参加者からは、
・佐々木君が第一声を出してくれて助かった
・一枚のビニールシートを分け合おうとするところにピクニック感
・鄭さんが最初に実際に無いもの(食べ物など)をあるということにしてくれて助かった
・食べ物を分け合う
・どうやったらピクニックじゃないと出来ない行為、話が出来ないか考えた
・乾杯の時に皆で写真を撮る、絵になるな、ピクニックだなと思った
などなど。

そしてこの稽古は、今後何度も行われると思う、とのこと。
ということは、この稽古及び、「かもめ」の稽古でも出てきた実現化、というコトバが筒井作品の重要なキーになるのかもしれませんね…。
その後、上演のタイトル・イメージのより詳しい解説が筒井さんからあったのですが、ちょっとネタバレには早い感があるので参加者以外にはまだ秘密です!
お楽しみに。