2016年2月27日土曜日

2月21日伊藤チーム稽古⑦

2月21日(日)晴れ 

前の日によく雨が降り、その後の快晴だったせいかとても寒かったように記憶しています。

だんだん作品の輪郭が見えてきました。

いつものように、足を揉み合いながら作品とつながるようなつながらないような
距離で会話がはじまります。



伊藤さん「占いに行ったことはありますか」
出村さん「たまたまWSで知り合いに占いをされるっていう人がいて、してもらったことはあります。言われちゃうと気にしてしまうので、占ってほしくなかったんですけど、いいことを言ってもらったので。
伊藤さん「僕も嫁さんとまだ付き合うまえに占いにいったけど、石橋を叩いて渡るタイプと言われて、そんなタイプじゃないよって思う反面、そうかな、そういう部分もあるのかなって思ったり。(略)で、いいことってどういう」
出村さん「今年は結果の年だと言われて」
伊藤さん「なんの結果がでるの」
出村さん「今までの結果がでるとか・・・」

うろ覚えの会話なのですが、こんなお話をされていました。
そういえば私も少し前、ある芸術祭でお世話になったおっちゃんに、占いスナックというところに連れて行ってもらいました。
若いお兄ちゃんから、女性の親子連れまでいてとても流行っていました。
占いって、あたるあたらないは置いておいて、自分の考えなかった可能性や物語がそこに見えてくるから(伊藤さんの石橋を叩くのように)結構面白いなあと思います。

今回の稽古では、最初に音声を録音をし、その音を流しながらいろいろなことを試しました。

録音を再生している伊藤さん。

洋服を着たり、畳んだり、椅子から立ったり、歩いたり、いろいろな動きなどを試しました。

洋服を着たり、畳んだりする出村さんを見ていると、
いろんな意味をそこに見出そうとする心の動きが生まれていきます。
なぜこの人がそれをしているのか、
なぜこの人がそれを着るのか、
なぜこの人がそれを畳むのか、
シンプルな動きだからこそ、そこにどんな物語も映すことができて、
そこに見たいものを見れるなあと思いました。

またそこに音声を重ねるだけで、その動きがそのように見えてきてしまう
それとこれに関連性なんかないかもしれないのに、そのように見えてきてしまう
そのように見たいというか、見ている側は関連付けたくなるような意識が働くなあとも思いました。

服と出村さん

以下、服を持って転がる出村さん










また出村さんの俳優さんとしての資質なのか、いろいろなものが出過ぎないところがこちら側の想像させてくれる余白を作ってくれているのだと思いました。
なんというか、出村さんの持っている静けさみたいなものが、今回の作品にあっているというか、もしくはそれが伊藤さんが出村さんから立ち上げようとしているもののとっかかりのようなものなのかなと思いました。

服と出村さん。なぜか自分の服に触られるとどきどきする。





今度は動きに合わせて声を出します。
声は意味をなさない声なのですが、人の声って、不思議やなあって聴きながら思いました。
楽器の多くは人の声を再現しようとして作られていると聞いたことがありますが、
人の声は身体を震わせて、空気を震わせて、なんだか少し怖いように響くなあと感じました。
どうしてちょっとだけ怖いと思うのかと思ったところ、コミニケーションではない声、歌でもない声というのは、聞きなれないからだと思い至りました。
出村さん曰く、声をだしていたらハイになる、とのことでした。
声を出すと、身体が振動するので、のどを締め付けたりせずに、自然に声をだすことは
結構気持ちいのだろうなと思いました。
また稽古の中で出村さんは最初ずっとだまっていたのですが、突然声をだすと空間がばっと変わりました。
ちょっと怖かったとは書きましたが、ずっとだまっていた人がいきなり声をだしたりすると、同時になんだか嬉しくも感じました。
声って、存在することにすごく近いというか、
声を使って言葉が話せない人も、手話をしながら 、言葉ではない声を出したりしてはるのを見かけるのですが、
あの、話せないけれど出ている声の強さや抑揚は、言いたいことの多くを伝えているように見えるなあと思います。
声というか、なんらかの形で音をだす、音をたてる、ということは、存在しているという表現なのかな、と思ったりしました。
これを書きながら、聖書のはじまりで神様は光あれと言いますが、音はいつ生まれたんだろう、と思いました。音の誕生を書いた神話はあるんでしょうか。。。

また声を、服にたいして発するということもしました。
その服との距離感でどのように見えるかも試しました。
距離というのは、演劇の中でもどれくらいの距離を対象ととるかで、
関係性が見えてくるということで、距離のとりかたは大事なことだと思いますが、
今回は逆に、距離を探りながら、そうすることでどのような絵に見えてくるのかを試しました。
こういう作業というのは、自分たちにとっての、価値観の再認識というか、
これくらいの距離でこうしているとこう見えるという確認というか、
今回は対人ではないので、改めて考えたことはなかったけれど、
この距離で声を出すと、こう見えるように、私たち(?)の意識はできているらしい、
ということを確認するような時間で、面白かったです。

こういうことは私たちがもっているコンテクストが前提とされているというか、住んでいる場所や世代、文化が違うとまた違って見えたりするんでしょうね。
最近見ていたスペインのドラマで、親しい友人や家族がほっぺにキスをするシーンとかがあって、日本人の私から見ると、おおっ!っと思ったことを思い出しました。
ああいうの日常的にしていると、もっとつながりの強い関係になったりするんやろうか。。。とかも思いました。
・・・話がそれてばかりの稽古場日誌となっております。


その後、ある詩人の詩を朗読したり、童謡を歌ったりしました。

歌う出村さん。


童謡、いいですね。
今回読んだ、有名な詩人の方の詩は、私はあまり好きではないですが、
童謡の方は、すごくいいなあと思いました。
シンプルさは、いろいろなものを受け止めてくれるというか、
いいなあ〜と思って聞いていました。

その後、出村さんと、嘘を付き合うというワークをしました。
お互いに金持ちのふりをして、いかに金持ちなのかを相手に知らしめるというような会話をします。
私はすごく楽しくなってしまって、笑ってしまいましたが、出村さんはポーカーフェイスでしらっと、月の所有権をもっていて・・・、とか、車が5台くらいあるとか、言ってはりました。
俳優さんの資質として、ポーカーフェイスができるって大事だなと思ったのでした。
出村さんはもっともらしく嘘をつける、素晴らしい俳優さんです。

最後に、ある短い小説を朗読しました。
作中で使うかもしれないので、ふせておきますが、美しい小説です。
小説は方言で書かれている部分があるのですが、その方言を話さない出村さんの
朗読はニュートラルに書かれた内容だけが入ってきて聞きやすかったです。

方言だからって方言で話すことをしなくてもいいのかなと
新しい発見でした。
方言の文章を方言を使わない人がその人の言葉で読む、というのも全然悪くなくて
むしろ頑張って方言話そうとするより聞きやすいと感じました。

方言の文章を読む出村さん。


今回の稽古はそんな感じでした。

今回の稽古で作品がどんなものになるか、かなり見えてきたような気がします。
伊藤さんが岸井さんの戯曲展で演出した記憶の再生から、
今回は記憶は記憶でももっと深い、多分下のところにある記憶、
立ち上げたくても簡単に立ち上がりそうでいて、立ち上がり得ないような、そして個人的には綺麗に立ち上がって欲しくないような、記憶というか煙のような存在を立ち上げようとされています。

私の稽古場メモには、
「思い出すという行為は過去を捕まえるという行為

  を立ち上げる 過去を立ち上げる中での 立ち上がらなさ」
と書いてあります。

このブログを書くということも、過去を捕まえる行為の一つなんでしょうか。
過去は、捕まえた様でいて、穴だらけで、触れる場所や触れない場所があって、
メモなんかを書いているときは、確かな気でいるのですが、こうして思い出しながら文字にしてみるとまったく不確かでなにをどう書けばいいのかいつも迷ってしまいます。
いつもブログを書くのが遅くなるのは、こういう理由によるものだったりします。(すみません。言い訳です。)

とはいえ、これから急ピッチでこの作品が出来上がっていくことになる、そんな確かさが
今回の稽古の中にあったように思います。

筒井チーム、伊藤チームどちらも、面白い作品になると思いますので、
ぜひ、いらっしゃってください。

本公演は、
3月19日(土)19:30・20日17:00開演
場所は芸術創造館となっております。

チケットのご予約はこちらからどうぞ。





2016年2月21日日曜日

2/20 筒井チーム稽古⑦

出席者:荒川、浦長瀬、前田、佐々木、鄭、杉本、鎌田、藤田、楠

■とうとう全員揃った!!!!!

筒井チーム9名、ついに全員揃っての稽古です。
本日はいつものチェックイン後、今までの稽古で行ってきた数々のワークの中から、本番で行われる予定のものを抜粋し、一通りざっとやってみました。

というわけでネタバレ感が強いので、今回は写真を見てこれはこのワークかな…?なんてことを今までのブログを見て想像しつつ、お楽しみください。


              

今日の稽古で出たこの作品の新たなキーワードがあります。「吹田事件」です。
実は筒井チームは追加で、この「吹田事件」にまつわる吹田周辺のフィールドワークを行う予定です。
私もこういった事件の存在は初めて知ったのですが、このキーワードが、この「action and presentation」という作品に別種の幅と奥行きを与えることになりそうです。 
お楽しみに!

★ご予約はこちらから★
https://www.quartet-online.net/ticket/zombie4months

筒井チーム、全員揃った記念にパシャリ。

2016年2月20日土曜日

2/14 伊藤チーム稽古⑥

2月14日(日)
今日はとても風の強い日でした。


体をほぐしてから、お腹の音を聴きあうワークをしました。

これは、出村さんが出演された、ハッピーアワーでも出てきたワークです。

そういえばこのブログを書いている2/19、出村さんが出演されたハッピーアワーを
観てきました。

出村さん、すごくたくさん出演されていて、いつも稽古場で拝見しているからか
スクリーンで観て、やけに嬉しい気持ちになってしまいました。
また、出村さんの映画の中での表情を観ながら、スクリーン越しに新しい出村さんに
出会ったような妙な感動も覚えました。

京都ではオールナイト上映が2/20(土)あるようなので、まだの方はぜひ行ってみてください。

さて、そんな映画の中の最初の方で出てきたWSのシーンで、
お腹の音をお互いに聴きあうというワークがあるのですが、それをしました。

私も参加させていただき、出村さんとお腹の音を聴きあいました。

出村さんのお腹の音は、結構静かでしたが、ときどきコポコポといったり
液体がどこかからどこかへ流れていく音がしました。

出村さんのお腹の音を聞いていると、自分のお腹もよく鳴りました。
出村さんのお腹の音を聞いているのは私の耳(や脳)なのに、
私のお腹も出村さんのお腹の音を聞いているみたいだなと思いました。

これを書きながら、この日、なにか興味のあるもの、持ってきたものとかありますか?という伊藤さんからの問いに出村さんが臓器移植についてのお話をされていたことを思い出しました。

臓器移植をしたら移植した人の性質(食べ物の好みとか)が移植された人に移るというような話だったかと思います。
私の稽古場メモには、記憶する臓器、記憶する心臓、記憶転移と書かれています。

体が、臓器が、何かを記憶するというのは、私はよくわかるような気がします。
座り心地や寝心地を体が覚えているように、臓器も臓器のそこにあり心地?みたいなものを覚えていて、何を食べていたかとか、どんな音を聞いていたかとか、あるような気がします。わかりませんが、あっても不思議じゃないなあと思います。

臓器は、自分のもののようで、自分には意識できない、動かしたくても動かせない、自分では見れない部分でもあって、でもそういう部分が人間の体の内部のほとんどを占めている。
というのは、なんか、意識と無意識の関係性と共通するなあと思いました。

また同じく映画のワークショップから、額を合わせてイメージを伝えるというワークをしました。
私の描いたイメージを出村さんにおでこをつけて、伝えるのですが、全く伝わりませんでした。
伝えたものをシェアしてみて、全然違って笑うときが、とても楽しかったです。

お腹を聞くとか、額を合わせるという、身体の接触の多いワークというのは、
ちょっと恥ずかしくてちょっと嬉しいような気持ちになりました。





臓器移植について語る出村さん。


また伊藤さんから、この作品の出発点をどこにしようかという話がでました。

「人となり」というタイトルは、
自分の人となり ともとれるし
だれかの 人となり ともとれる。

それを探ってみようという話もしました。

まだまだこの作品のセンターのようなものは見えてきてはいません。
でも、外側から少しずつ何かしらのヒントが集まっているような感じはあります。



それから、出村さんとインタビューをするワークをしました。
主に出村さんが聞き手になって、私にインタビューをします。

挨拶からはじまり、インタビューを受け、普通に答えます。
インタビュアーの出村さんはとても控えめに、気づかいながらインタビューをしてくださいます。
そういう聞き方をしてくださるので、こちらにいろいろと思い出す時間が作れて、
結果的にいろいろなことを思い出しながら話をすることができました。

インタビューは2回繰り返され、2回目のインタビューの後、いたこワークをしました。
出村さんがインタビューの中で話題になっていた人をして(つまり、いたこになって)
わたしはいたこの出村さんと話をしました。

インタビューの中で話題になったのは、あるすでに亡くなった方についてだったのですが、その方を出村さんがいたことしてしてくださり、わたしはその人と話をしました。

いたこの出村さんはなにも言いませんでしたが、わたしはすごくいろいろなことを
思い出しました。

いたこワークの後は、伊藤さんからの提案で、
出村さんに過去に作ったダンスをしてもらいました。
歩道橋や、ファミレス、道路、などのダンスです。

どれも静かなダンスですが、出村さんを通して世界が見えてくる豊かなダンスに見えました。人の身体を通した描写のようなものは、どこにでもあるようでいて、
そこにしかないような気がします。


それから、椅子を使ったダンスのようなこともしました。
  












その後、演技をすることについて書かれたテキストを読みました。





それから、今回の作品で、
例えば、舞台上でだれかにインタビューをするような作品になるとしたらという話の中で、
どこまで「生」の人を舞台上で扱っていいのかというような話になりました。

劇場という開かれた場で、例えば、俳優以外の人に出演してもらい
その人に、プライベートに関わる話をしてもらうことについて、出村さんと伊藤さんとの間で、議論する時間がありました。

出村さんは、生の人を扱うことについて、
その人が例え、そこで大丈夫といい、積極的に話してくれたとしても、
その人がもしかしたら傷ついているかもしれない、または後から傷つくかもしれない、とおっしゃり

対して伊藤さんは、福島のタクシーの運転手さんが、震災以降、観光客の方がたくさんこられて、話を聞かれるようになったことで、最初は嫌だったけれど、後々それがすごくよかったというような話(細部は違うかもしれないですが)をされていました。

その人と二人で話を聞くのと、それを舞台上でするのとは大きく違うということや、
それがいいかどうかは本当にはわからないということなど、
「生?」の人の「生の出来事」を舞台で扱うことについて話をしました。

この話については次回の稽古でどうなるのか気になるところですが、

出村さんが、このことについてとても慎重であることは、
出村さんの人となりをよく現しているように思えました。

出村さんは、疑問に思ったことや、違和感など、思ったことは控えめですが、しっかり伝える俳優さんです。
出村さんを稽古場でみていると、自分に誠実であることが他者にも誠実であるということなのかもしれないと思えたりしました。

伊藤さんと出村さんは、結構違うところも多く、その違いをすり合わせるようなところから、ぽこりとうまれてくるものがあるのかな、あったらいいなと思いました。

生、について、次回の稽古ではどうなっているのでしょうか。